勝手に観光大使

勝手に観光大使w

旅先で訪れた素敵な場所をお気に入りの写真と共に勝手に紹介しますw

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チェンマイでゾウさんと一緒に水かけっこして遊んできたよ
アユタヤのソンクランで水かけ界最強のボスに挑んでみた
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【カンボジア】カンボジアの負の遺産ともいわれるキリングフィールドへ行ってきました

 

こんにちは、キャリーバッカーのTak@です。今回は、カンボジアプノンペン負の遺産ともいわれるキリングフィールドへ行ってきたので勝手に紹介していこうと思います。

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キリングフィールド

 

 

先にポル・ポト政権について

キリングフィールドの背景となるポル・ポト政権について先に説明しておきます。カンボジアでは、1975年にポル・ポト政権が発足しました。ポル・ポトはフランス共産主義を学んでいたり、中国の毛沢東の影響を強く受けていたといわれてます。そんなポル・ポトが目指したのは『質素な農村暮らしで階級や格差のない社会』という原始共産主義と表現された共産主義でした。国名も『民主カンプチア』と改名。

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ポル・ポト(1928〜1998)

その政策の為に、学校や病院が閉鎖となりお金も必要ないとの事で貨幣が無くなり宗教だけじゃなく娯楽や恋愛も禁止されました。ポル・ポト率いる政治武装勢力クメール・ルージュが都市の住民たちを騙し農村地帯に強制移動させ財産などを奪いました。食料危機でもあったカンボジアでは、ほとんどの国民が過酷な労働環境で農業をさせられ反発する者は処刑されていました。

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民主カンプチアの国旗(1975-1979)

そんな中、ポル・ポトは自分の理想の共産主義社会を創る為に『政権をを率いる自分たち以外に知識を持つ者は必要ない』と考え知識人とされる者を片っ端から処刑していきます。先ずは、学校や病院の先生といわれる方たちや一般的な知識を持つ大人たち。
そして次第に虐殺はエスカレートしていきます。本を読んでいる・眼鏡をかけてる・外国語が話せる人など。海外で留学や就労しているカンボジア国民にはカンボジアの為に力を貸してほしいとの嘘で帰国を促しておいて、帰国後に将来的な反乱分子になる知識人として虐殺しました。1979年に反ポル・ポト派カンプチア救国民族統一戦線と支援のベトナム軍によりプノンペンを制圧しポル・ポト政権が崩壊します。

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カンプチア人民共和国の国旗(1979-1989)

政権崩壊により『カンプチア人民共和国』となり、ベトナム軍の撤退後に『カンボジア国』へ改名されたようです。

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カンボジア国の国旗(1989-1993)

1975年当時、カンボジアの総人口が約700万人。ポル・ポト政権だった4年で200万人以上の方が強制労働や虐殺によって亡くなったといわれてます。ちなみに日本国内だと長野県の人口が約200万人になりますが、人口比で総人口の3割となると日本の場合、約3600万人で人口トップ4県の東京・神奈川・大阪・愛知を足したくらいの人口になります。それほど多くの国民の命を奪った恐ろしい政策だったんです。政権崩壊直後、国民の85%が14歳以下だったという衝撃的な情報もありました。ほとんどの大人は虐殺され、あまり知識を持たない子供たちを支配していたのがポル・ポト政権でした。
現在の『カンボジア王国』となったのは1993年からのようです。

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カンボジア王国の国旗(1993-現在)

※細かく言えばクメール共和国時代の国旗もあったり、実際にはもっと複雑です。あくまで僕が調べた内容や現地で聞いてきた内容なので正確ではない情報があるかもしれません。大まかな内容として見てください。さらに詳しく知りたい方は、ぜひ調べてみてください。

 

キリングフィールドって?

この場所は、その当時KillingしていたField、要するに処刑場跡地のひとつです。カンボジア国内には他にもたくさんの処刑場がありました。
僕がこのキリングフィールドを知ったのは初めてプノンペンに行った時でした。事前に調べてなくて現地でトゥクトゥクのドライバーさんに教えてもらいました。本当はその時、すぐに行きたかったけど中途半端な気持ちで行くのは失礼だと思ったので、その時は諦めて改めて予習して2度目のプノンペン旅行の時に訪れました。

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キリングフィールドの入口

 

キリングフィールドの場所

プノンペンのキリングフィールドは、王宮のあるリバーサイドからトゥクトゥクで約40分くらいの場所にあります。

途中からは舗装されてない道路が続いて砂埃もスゴいからマスクとサングラスはあった方がいいと思います。

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こんな感じの道を走ります

僕がチャーターしたトゥクトゥクのドライバーさんは未舗装のエリアに入る前に売店に寄って水とマスクをくれました。気を使ってくれる優しいドライバーさんでした。実は、カンボジアに前回来たときに砂埃にやられた記憶があったから、今回はマスクも持ってきたんだけどドライバーさんがくれたんで自前のは使わずに済みました。

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水と行きと帰りの2枚マスクもらいました

チャーター料金は確か交渉で20ドルだったと思います。キリングフィールドからトゥールスレン虐殺博物館に行きました。それぞれの施設見学中は1時間半ほど外で待っててもらいました。その後ホテル近くのレストランまで送ってもらいました。トータル6時間弱でしたが、とても穏やかでよくしてくれしました。

営業時間と入場料

【営業時間】
7:30~17:30
【入場料】
3ドル (音声案内は別途3ドル)
※営業時間と定休日、料金などは変更の可能性があるので事前に確認してください

 

行くなら音声ガイドは必須

キリングフィールドでは音声ガイドをレンタルできるんだけど日本語の音声ガイドがあるから絶対に借りた方がいいです。施設内の案内板に番号があってその番号の音声ガイドを聞くことで案内板の内容に関する説明を聞くことができます。

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音声ガイド

 

キリングツリー

下の写真のキリングツリーではたくさんの小さな子どもたちが叩き付けられて虐殺されました。今はたくさんのミサンガが供えられてます。

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キリングツリー

 

今でも新たに見つかる遺骨

たくさんの方が埋められたこの場所では、雨が降って土が流れると今でも遺骨が出てくるそうです。見つかった遺骨の一部は見えるように保管されてます。

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見つかった遺骨の一部

 

たくさんの方が眠る慰霊塔

キリングフィールドの中央にある慰霊塔にはこの地で発見されたたくさんの方たちの遺骨が安置されてます。

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慰霊塔

あまりの遺骨の数とこの地で起こった惨劇の事実に心臓が苦しくなりましたが、カンボジアの歴史を知る機会だと思って最後までしっかり見てきました。

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たくさん方が眠ってます

この慰霊塔の前ではお花の販売もしてます。僕はこのカンボジアの史実を知ったからといって何かできる訳でもないけど、この地を訪れた一人の人間として、ここで眠る方たちに花を贈り手を合わせて施設を出ました。

 

最後に

先ず、この悲劇により亡くなられたカンボジアの方たちのご冥福をお祈りします。この施設を訪れてカンボジアのことを更に知るきっかけになりました。そしてカンボジアがより好きになりました。また旅行で行きたい国のひとつです。
プノンペンに行く機会があればキリングフィールドへ行ってぜひ体感してほしいです。連動して時代背景を知ることができるのでトゥールスレン虐殺博物館もセットで行ってみるといいと思います。

 

トゥールスレン虐殺博物館の記事はこちら

kankoutaishi.hatenablog.com